じーちゃん、たくさんの思い出有難う。 | +++vitamin color+++

じーちゃん、たくさんの思い出有難う。

おじーちゃんが、地域のお祭りのときに、はしごで高いところへ登って落ちて病院へ運ばれたと聞いたあの日から、2年8ヶ月経ちました。
すごく元気で、80近いのに身軽で、体も強くて、とっても働き者のおじいちゃんが病院に運ばれたと聞いた時は本当にビックリしたっけ・・・。入院してすぐ、年令からしてもう長くないって言われたときはすごく悲しかったな。
診断結果は、全身マヒで、呼吸を司っている場所が損傷している為、少しでも生きて欲しいなら、人工呼吸機をつけ、お腹に管を通して、そこから食事を通しましょうとの事・・・。
長くない。と言われたけれど、少しどころか、2年以上がんばったおじーちゃん・・・。
最初の方は生きようと努力して、口にペンもって、何か書こうとか思ってたみたいだったけど、たまに熱を出してしまったり、でも少ししたら車椅子に乗れるほど良くなったり、かと思えば集中治療室へ入ったり、しかしコーヒー飴舐めれるくらい回復したりもして・・・また少ししたら、しばらく尿が出なくて危篤になり・・・のくり返し。すこーしずつ悪くなって行く・・・。みてて凄く辛かったなー。
『万博行くんだよねー?おじーちゃんは。』と聞くと、一回こくりとうなずく(『ウン』って事です。)
呼吸器を付けているから声が出せないし、ずっと寝たきりだから何するにも辛いはずだけど、コレだけは頷いていたな・・・。車椅子に乗れるようになって、

・・・まぁ、まだモヤモヤしてるので、あまり言葉が見つからないと言うか、いつもよりさらにまとまりのない文章ですがゴメンナサイ。

6月30日木曜日、7時29分・・・。
おじいちゃんの長い、本当に本当に長い闘病生活にピリオドを打ちました。

今まで、色んな人をいつもいつも幸せにしてあげていたおじいちゃんが、何故苦しみながら死ななきゃいけなかったのか。

おじいちゃんが落ちて、頭の打った現場は、神社の敷地内・・・なのに、何故神様は助けてくれなかったの・・・!
本当に神も何もあったもんじゃないなと思います。(こんなこと言ってバチ当たるかな・・・モーイイヤ('A`)シラネ)

もっと病院に行ってあげればよかった、元気な時にもっともっと一緒に出かけたりすればよかった・・・と色々思うところもありますが、じーちゃんに叱られる気がするので、考えないようにしますw

2年8ヶ月ぶりにおじーちゃんが帰ってきた。ご飯を焚いて、まるく盛って、お箸をさして・・・。お布団しいて、榊にお水入れて・・・綺麗に掃除して・・・。病院から親戚たちがどっとウチに来たので、足の踏み場のないくらいの人・人・人。通夜の前日はあまりおじいちゃんのそばに居られなかったけど、なんだか病院に行けばまたおじいちゃんに会える気がして・・・まだ状況理解出来てない感じだったな。

お通夜当日、お父さんが喪主で、両親はバタバタと忙しそうにしていて、私は私で、受け付け後ろで会計係りをやるんで、受け付け準備。・・・ドカドカと果物やら、お花やら、電報やら沢山運ばれてきて、あっという間に通夜の時間が近付いてきて、改めてお花の名前をみていると、見覚えのある名前が!『南●洋●』『長●裕●』『朝●雪●』芸能人からお花頂けるなんて・・・じーちゃんよかったねぇ。おじさんの関係なんだけどね。嬉しかっただろうなぁじーちゃん。

まぁ、通夜は泣きながら会計&受け付けやって、御葬式のおっさま4人の凄く上手なお経にウトウトしそうになってしまったり、御葬式での喪主挨拶のとき親父が泣くものだから、こっちまで泣けてきて、親族じゅうでワンワン泣いて、スッキリとじーちゃん見送り出来た気がします。

バッチリ喉仏も残っていたし、葬式に雨が降るという予報だったけど、じーちゃんのお陰か雨も降らず、曇り空で丁度いい気温。

んーなんていうか、変な言い方かもしれないけどいい御葬式でした。

じーちゃん、通夜のときも御葬式のときも、そして今もずっと、おじいちゃんの万博のチケット御供えしてあるから、いつでも行ってきていいからね。

とにかくじーちゃんの孫でよかったと思える今であります。